終わらない
ひとつの想いが起きたとき、
そのもや~~っとしたことを言葉で考える
そうだ! こういうことだ。
でも、僕の口癖は、「でも」や「けど」
物の見方や考え方は、矛盾する。
生きてることは矛盾だらけに思える
いきなり俯瞰するとそうだけど
生きてる時を瞬間的には言語化=固定化できる
けれど、いつも同じ言語化はできない
だから生きるという継続性において矛盾する
自分の考えを、さも人類の叡智のように
大げさに話す、虚言じゃないけど虚言
これは主語を明確にしないことからおきる
「私は~~と思う」には私という限定がある
主語を省くと、誰もがそう思うと思い込む
誰もがそう思うと思い込むから
違うことに抵抗感がおきる
世界は矛盾だらけだ!
違うよ、矛盾しているのは、
世界を自分枠で見ているから=固定化しているからだよ。
世界はなんでもありのカオス
カオス=無秩序な表層を展開する秩序
フラクタル=部分は全体を包含する
表が裏に、裏が表に
という思考癖も僕にはあるようだ
表と裏を、陰と陽に言い替えれば、
太極図のイメージだなぁ
と思ったものの、
太極図の活きてる感覚がわからない
(ほら、
「わからない」と言語化=固定化するから
「わからない」になり、
「わからない」を続けるから、
「わからない」から抜けられない)
でも、けれど、は否定の言葉だと思い込んでいた。
自分を肯定できないから、
言い切れないんだと思っていた。
私は~~な人です、と思ったら、
~~な人で居続けなければ、
~~な人にならなければ、
と思っていた。
でも、けれど、って思うから、
思ったことが実現=引き寄せできない
でも、けれど、ってぶれるから、
人生が定まらない。
そもそも人生は定まったものなのか?
ぶれちゃいけないものなのか?
こうして言葉で考えることには、
限界があると感じてきた、
あれかこれか(言語化)でなく、
すべてを、矛盾・二律背反を含む(メタ言語)
『考えるな、感じろ』(映画“燃えよドラゴン“)の境地に
ダイブして、サーフして、漂いたい。
なに言ってんだよ(¬_¬)