雑記

ゆる~く、想いついたことを、語る

long time no see

ブログを書きたいと思った一時期を過ぎたら、

書きたいことが無くなった。(/。\)

空っぽなんだなぁって思い知らされた感じや

どこかで誰かが僕の思いつきの何倍×多数ものことを

書いていることにも圧倒された。

競うつもりはさらさらないけれど、

僕がブログに書くまでもないと思うと、

書きたいことが無くなった。

今日、空っぽ宣言したら楽になったわゎゎゎ~(^^)

 

書きたい!欲求が出たからというよりは、

ずっと放って置くのが気になっていたところ

どうせ誰も読まないだろうと思うことにした。

読まれることを前提にするブログだから、

矛盾なんだけどね。

読者は自分ということ、

空っぽの上にちっちゃいねぇ~(^^)

 

☆病気について思ったこと

僕はこれといった病気はない。

『引きこもり』と『水虫』くらいだし

治療(医学的処方)はしていない。

ここ数日は目覚めるときに落ち込んで、

神様!助けて~ と思っている。

心は折れてるけれど、

生きていられるので十分です。(とも思う。)

神様!助けて~ と思ったときに、

僕のような居ても居なくてもいい者が

病気になることもなくいられるのは何故だろう?

さっさと余命期限のある病気で消滅させればいいのに、

神様はなにゆえ生かしておるのでしょう?

と思ったら、

病気にかかるには克服できる人でなければならない?

と思った。

僕に病気を付加したら弱るだけで克服できないから

神様は病気にかかるのを避けているのだろう。

 

なぜ病気になるのか?

ということも同じで、克服できる者には

克服してより高い精神性を授けるんだろうなぁと。

 

なんでこう思ったのか、自然療法に興味を持った。

いろいろな良い健康法をしていても、

病気にはなるかもしれない。

そんなときに、これこれの健康法を続けていたのに、

と思うのでないか?と想像した。

病気にならないための努力は無駄なのか?

と思うだろうと想像した。

病気にならないために健康法があるんじゃなくて、

病気になっても克服できる人になるために

人は様々な健康法や療法を試しているのだと思う。

病気にならないのは、健康法のおかげであり、

病気になってもその健康法は無駄やダメではなく、

意味があるのだろうと思う。

療法の話を聞くとき、

これをやれば効能・効果は実証済みですと

いうことを気にしていると思う。

だけど、病気になるということには、

何かしらの意味があるとすれば、

どんな療法も確実な予防や治療にはならない。

自然治癒力=自己治癒力のサポートでしかない。

病気になることも病気にならないことも

等しく自分を生きてることであり、

自分に内在する生きる力(フォース)は、

どんな自分をも支え、導いてくれると思う。

自分を大事にしようね。

(^身^)人(^心^)人(^神^)