何を言っても聞かない時
話を聞くのが難しい、嫌な人がいる
実の母だ
普段は気にとめない言葉(や行動)に
カチンときたり、イライラしたりすることがある
なぜだろうって思って考えてみた
まずは感じること・気づくこと
なんか知らないが今日はイライラするなぁ
と自分の状態に気づくこと
そうして、そのイライラを引き起こす対象が
母親であることを認めること※
年老いた親にムカつく・イライラするなんて
自分はダメな人間だと自己否定しないで
なんだよ!くそババア!と
声に出さずに言って
感情を受けとめてから
なんで? くそババアなのかなぁ
と考えてみると
実は過去の記憶が起こす感情で、
今のことではないことがわかるときがある
※ イライラの対象としての母親は実在だけれど、
イライラの実体ではなくイライラさせるイメージ
であり、仮想敵でもある。イライラの実体、真の敵は、
形を成せずにいる自分への自己評価=ジャッジに
抵抗している自分自身、こうありたいでも成れない
という葛藤が正体。自己嫌悪・自己解離。
『何を言っても聞かない時』(何を言われても聞けない時)は、
言葉の意味ではなく感情の記憶(杓にさわるの杓の正体)に
反応していると思う
小さい子供の頃、大きくなって成人してからでも、
親が親の統率=支配下に子どもがあるという態度
ああしろ!こうしろ!
そうするな!ダメだ!何してる!
と指図と命令をしていた親が、逆転して
ああもできない、こうもできないとなったとき、
親も年老いたねぇと寛大になるのではなく
虫の居所によって感情をぶつけられた復讐に
何してる!早くしろ!
ダメだ!もたもたしてるから迷惑(他人の目)だろう!
とかつてされた感情的苦痛をやり返してしまう
他人の年寄りには寛大なのに
他人の子どもには寛大なのに
自分の親に
自分の子どもに
口うるさい中年以上の親子っていうのを
病院なんかでよく見る
他人事だと、まぁ年寄りってそういうものじゃんって思うけれど
自分の親子となるときつい物言いをしてるのは、
きっと子どもの頃に親にさんざん言われたからだろう
そこが他人と実の関係の違いだと思う