介護って何だろう オムツの功罪
介護って何だろう オムツの功罪
施設の介護職員をしていたけれど辞めた。
辞めたのは3回、つまり3ヶ所で働いた。
介護の仕事は大変だからと言われると、
そうなんだけれど…何か違うと思う。
介護で一番大変なのは、介護される本人なのに、
本人より介護する側の大変さが強調されると思う。
介護って何だ?
僕にとっての介護は、管理と支配に
ちょっと人の温もりがあることだった。
基本は管理と支配だ。
僕はこの管理と支配が大嫌いだ。
でも、世の中に適応するには、管理と支配に適応するのが
とても楽なのだ。
よく言われたことしかやらない!
というけれど、その実、
言われたことだけして!
余計なことしなくていいから!
そんなことしてたら時間がいくらあっても足りない!
などなど、言われたことだけしろ!!
といってる側が、言われたことしかしないと言ってると思う。
このブログで書きたいことは、
僕はこんな世界=職場=世間の常識では
働きたくない、家畜のように働くのは嫌だから
就職しない!を主張というか言い訳するためだ。
負け犬の遠吠えだと思ってくれて良い、
この世界では今はそうだから。
でも、世界は変わる、管理と支配の世界は崩壊する
その時は今の常識人たちは、
特に損失はない。
現実に適応することができる人々なので、
変わった世界に適応するからね。
僕のように、現実に適応できずに、
現実を変えようとする想いの人は、
適応できないから苦しむ、
この苦しみを現実を変える力にできたものが、
改革者になれる。
オムツの話だった。
排泄の介護にオムツだよね。
施設の職員がよくこう言っているよね。
「大丈夫、(オムツしてるから)そのままして良いよ。
後で取り替えるから」
排泄のつまり、排尿や排便の欲求が出た時に、
その人がオムツをしていたら、
排泄が最優先の仕事(処置)ではなくなるということだ。
この声かけの背景には、「出る出る詐欺」がある。
出そうだ、オムツにするなんて嫌だ、
という生理と心理だろう、排泄介護を求める、
でも、なかなか出ない(大人が他人の前で排尿・排便をさらすのだ、簡単な訳がないのに)と、
構っていられない(他の仕事=業務や介助に行かないとならない)
そこで、オムツに出たら処置するということになる。
オムツはよきせぬ排泄による対応の大変さを補う物
ではなく、簡易移動式トイレ(ポータブルトイレ)を
体に装着したものになる。
トイレを体に装着されるってどういうこと?
想像すれば、ひどい仕打ちだと思うけれど、
介護の常識だから、誰もおかしいとは思わないのだ。
言われたことをやってください!!
だからね。
じゃぁ、オムツを外すにはどうしたらいいか?
排泄、特に排便はパターンがありそうだ。
そこで、排泄管理表を記録して、パターンを読み取り、
終日オムツからパンツへ移行するってありそうだ。
でも、僕がみてきた限りでは、
排泄管理表は、いつ、尿か便を、どれだけしたかを記録して
排泄がされていることを確認するものだった。
つまり、結果の記録=管理記録であって、
排泄介護のための記録ではなかった。
排泄介護に役立てていないのか?というとそうではなくて、
「⚪⚪さん、朝から一度もトイレに行ってない
(記録表に記載がない)のはおかしいでしょ!
記録もれなの!トイレ誘導して!」
となる。
排泄管理表が排泄介護(介助・処置)に必要だということだ。
じゃぁ、理想の介護とは?
その人に付ききりでその人のことを知るところから始まる。
だから、施設の介護、集団的で工業的(コストパフォーマンスを追求する効率化優先の)な様式では限界があると思う。
先ずは、施設の理念と実態把握がされているか?
どこの施設も、どの職員も、利用者の満足を良しとする。
ただし、がある。できる範囲で。
このできる範囲が、とても幅が広いのだ。
職員が足りない、設備がないなどといきとどかないところから、
そこそこ頑張っている施設、
業界の常識にとらわれない介護をする施設、
いろいろある。
都会では、無認可、無許可の介護じゃなくて収容所のようなところもあるようだ。
僕は、管理と支配の度合いが介護か介助か処置かという違いになると思う。
オムツにもどる。
オムツをしている人をトイレで排泄させるのは、難しい。
パンツなら、下げればお尻が出てくる。
便座に座ってもらって待てば良い。
オムツなら、オムツを外さないとならない、
パットもオムツも一体ではないからパンツを下げるようにはいかない。
装着も大変だ。
つまり、オムツにした時点で、
排泄介助は事後処理にします!
と決めたことになる。介護の放棄だろう。
介護する側の大変さがわかっていないから!!
という主張は当然あるだろう。
大変なのは事実だ。
大変だから介護をするのだ、介助や処置でなく、
介護をするってそういうことだと思う。
それに、介護は24時間365日休まらないというけれど、
それは介助と処置を無観察にスケジュールすることからくると思う、向き合いかたが中途半端だからだ。
在宅介護(訪問看護などを利用して)は、施設と違い
いわばオーダーメイドの介護だ。
オーダーメイドの良さを発揮するためにも、
介護の常識や施設のまねをしないでほしいと思う。