雑記

ゆる~く、想いついたことを、語る

記憶の断捨離

ブログに何を書こうかと考えてみたら、

自分のこれまでを振り返えってみようと思いました。

今の自分は過去の自分と違うんだよね。

以前は、そう何歳の頃はこんなこと思ってた人だけど、

今はそう思わないんだ。

以前は、この言葉をこんな意味に思っていたけど、

今は意味が変わったんだ。

以前は、嫌いだったことが、嫌いでなくなり、

以前は…、

と考えているうちに、話しているうちに、

なんか悲しくて淋しくなってしまった。

 

記憶に残っている自分は忘れたくない自分だろうか?

記憶に残っている自分は自分のすべてだろうか?

覚えている悲しいことは、

かわいそうな自分をかわいそうなままにするための記憶

覚えている話したい記憶は、

聞いてほしい自分を聞かせるための記憶

 

履歴書を書きたくないんです。

過去の自分が今の自分にどんなつながりがあるのか?

語り始めると意外に面白くて、

自分の物語に酔いそうになります。

 

過去の自分があっての今の自分であることは、事実です。

でも、自分は事実(出来事)ではできていなくて、

自分にとっての現実(物語)でできています。

 

物語は、

語り手で変わる、語り手の属する価値観で変わる。

事実の見方も、

語り手と聞き手の価値観で変わる。

 

嘘つきじゃないけれど、嘘つき、

まるで、物盗られ妄想の認知症の人みたいな。

 

あなたに合わせて私を動かすことが社会性だとしたら、

これから僕が望むことは、

私にあったあなたとの付き合い脱社会性、

物盗られ妄想に付き合ってくれる超社会性、

何ができるかで採否される就職じゃなくて、

できることで採用される就自分なんだ。

 

履歴書を書きたくない、

就職はしたくない、

わがままに生きたいから。

 

ブログに書くことは、

昔話でも今の自分の物語になるんだろうなぁ

テーマは自分の再発見になるのかなぁ

本当はなんにも無い空っぽな自分が、

いろいろ詰め込んできたあれこれを

これも要らないあれも要らないって捨てていく

再発見のゴールは『くう』

ちぇっ!

答え合わせの人生はつまらないじゃないか (¬_¬)