雑記

ゆる~く、想いついたことを、語る

認知症は治すものか?

徘徊ですか?

を書いたら、認知症について書きたくなった。

僕は施設の介護職員を通算で3年経験した。

2012年の9月から2017年の4月まで、4年半のあいだで。

初めて勤めたのが認知症高齢者のグループホーム

後はショートステイの日勤を2ヶ所でした。

 

認知症に限らず、施設の入所者に感じていたこと、

みんな我慢している=適応していると思った。

そして、彼らに問題があるのではなく、

彼らと関わる側=介護者に問題があると思うようになった。

介護者(施設)を悪いとか不充分だと批判するつもりはない。

批判的だったことはあるけれど、

どの施設もどの介護者もそれぞれのベストをつくしていると思っている。

理想との差は言わば力量の差で、ある意味仕方がない。

力量の差は、補い合えばいいのだ。

 

適応力があるから生きていられる、

認知症の人も適応している。

ただ、適応しきれないところがあるのを

どう支えるかの問題で、

認知症の人をどうやったら介護者の都合に合わせられるか?

ではないと僕は思う。

たまたま僕は軽い認知症の人しか見たことがなくて、

何年間も認知症の人と戦う介護を経験した人には、

怒りをかう記事だろうけれど、

僕は認知症は治すものだとは思わない。

この記事の結論は、

認知症の人に寄り添えば穏やかに過ごせると思うから、

認知症は治すものではないと僕は思う。

認知症の人のできることをできるように、閉じ込めず、

介護者が寄り添えるように、仕組みを作れば良いのだと思う。

 

 

認知症は病気の状態であるから、

その状態に合わせて対応すれば問題ではない。

同じ話を繰り返すので相手にならない、

というのは、認知症の人を変える問題ではなく、

介護者の対応の問題だと思う。

繰り返す質問に繰返し答えるからおかしくなる。

いい加減にして!と切れるから、相手も切れる。

介護者が繰り返す質問に繰返し答える余裕がないから問題で、

余裕が無いことは認知症の人のせいではない。

介護費用のこと、介護の見通し、住まいの改造、

家族の日常、家事、子育て、就業ストレス、

介護者に余裕が無いから問題にされる。

施設だって人手不足だから、

マニュアル(一律定型的な)は無いと言っても

通常業務(定時的で定型的になる)はある。

余裕が無いのは同じだ。

 

とある勉強会で両親の介護が始まったばかりで、

専門職の意見が聞きたいと言われたことがある。

同じ質問を繰り返す認知症と診断された人に

どう対処したらいいか?と聞かれた。

 

質問に答える(ご飯は食べたでしょ!)ではなく、

問いかけてみることを提案した、

ご飯を食べて無いというなら、

お腹が空いているのか?と聞いてみる、

空いているなら口に入れても良いものを出してみる、

それでもダメなら空腹の理由はストレスかもしれない、

散歩に出ようと誘ってみる…、

と面倒くさいし、つきっきりになるだろう、

この徹底的に付き合って

何が望みか?不安か?を知ろうとする余裕がない。

だから、認知症に付き合えないことが、認知症の問題をすすめる。

と、考えているが、実証はできていない。

 

なんだ、認知症対応のハウツーかと思ったら、

なんちゃって(;^ω^)って話かと、

がっかりしたら残念でした。

 

結論を繰り返すと、

認知症の人をどうやったら介護者の都合に合わせられるか?

認知症は治すものだと僕は思わない。

認知症の人に、寄り添えば、安心していられれば、

穏やかに過ごせると思う。

介護者にも、寄り添えるように、心配を抱えずにすむように、

仕組みを作れば良いのだと思う。